WEBタイムス 平成10年(1998年)10月02日 第548号
   

<朱殿のなぎさ>

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     残念相続
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 去年の暮れに蓮華王院(三十三間堂)の落慶法要が終わり、そのほかの一、二の仕事も大体片付いたので、精右衛門は★々安芸国の厳島明神のご社殿造営のため旅立った。永万元年四月(一一六五年)のことであった。
 本来なら、平太清盛さまのお頼みでもあるし、その守護神のご社殿のご造営であるから飛び立つ思いとなるはずであったのに、精右衛門は何故か心が重かった。なんとなく、であった。その一つに地元の棟梁に対する棟梁仲間の仁義、しきたりのことがあったのは事実であるが、自分でもよく分からない心の重さである。
 清盛から「山城国匠伯」の称号を頂いた精右衛門のことである。腕に自信はある。
 留守の事や女房おたきのことは、竹由と親戚の者に頼み、内弟子二人を残しての旅立ちであった。
 内弟子三人と、平素大きな工事を手伝ってくれているしっかり者の大工三人に、音音を加えて一行八人である。初めおたきは、おとを連れて行くことに反対であったが、結局おと本人が、「安芸国ではお母さまに代わって棟梁の身の周りのお世話をさせてください」といったのでおとの安芸行きが決まった。
 精右衛門はほっとした。あまり顔には出さなかったが、「おとが側に居てくれれば気が休まる」との思いが旅立ちの支度をする精右衛門の所作にもうかがわれた。
 清盛から、厳島あたりの大体の地形や気候、風景などを聞かされていた精右衛門は、旅の途中いろいろとご社殿の普請の構想を練っていた。おとはこれまで都から外へ出たことがなかったので、この旅では見るもの聞くものすべてが物珍しく、心は浮きうきしていた。
 だからおとは何かにつけて精右衛門に話しかけるのであるが、返ってくる返事は生(なま)返事ばかりで、時には押し黙ってしまうこともある。おとはこんな棟梁もお父さまも見たことがない。音音は「あるいは自分が一緒について来たのがいけなかったのかしら?」と、少し不安になるのであったが、そのうちに「あっそうだ。お父さまはお宮さまのご普請のことで頭が一杯なのであろう。それに都のお母さんのことも気がかりなのかも知れない?」とそう気がついてからは、なるべく棟梁から少し離れているように心がけるようになった。
 都からの参拝者が多くなってからは、厳島にも旅篭(はたご)は沢山あって、精右衛門一行には不便はない。
 厳島に着いた次の日精右衛門は早速地御前へ渡って甚八棟梁の家を訪ねた。
 甚八は精右衛門の挨拶もろくに聞かず、
 「ああ、都の棟梁か。清盛さまのお声がかりだそうでめでたいのう。じゃがのう、お社を建てるのは位(くらい)ではない。腕じゃ。それに人手も要る。じゃがわしらには手ご(手伝う)する気は更々無い。せいぜい励むがよかろうぜ」と、まるで木で鼻をくくったような言い方である。



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