WEBタイムス 平成10年(1998年)07月24日 第539号
   

<朱殿のなぎさ>20

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     平治の騒乱
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 精右衛門に「留守番に経盛さまを」と言われた清盛は、経盛を残して行くのは淋しいと思ったが、世事にくわしい兄貴分と思っている精太にそう言われると、むげに無視することができず、そうすることに決めた。そして暮れも押し迫った極月(きわまりづき)の四日、六波羅の館を出発、鳥羽で船に乗り淀川を下って夕刻に川尻の寺江を経て紀州へ向かって旅立って行った。いわゆる清盛の熊野詣の旅である。
 海は冬の海に似ずおだやかであった。左手に紀州の山々を眺めながら、船中はにぎやかであった。
 精右衛門は何やら気がかりでならず、出発の時刻の少し前に六波羅の館に行き、清盛へ
 「紀州の印南はうちの女房のゆかりの地でございます。その地には土地の豪族湯浅宗重、熊野の別当湛快と申す頼りになる人物も居ります。旅の途中、もし何かのご用あらば召し出してお使い下さいますように」と言っておいた。
 平氏の一門一族が揃って熊野詣でに旅立って五日目のことである。
 その日精右衛門は少し風邪気味だったので、若い者に仕事のことをあれこれ指図して送り出し、自分は家で臥っていた。
 都の内の、ある寺院の改築工事に出ていた、年をとった弟子の一人が、「明日の仕事の段取りをしていて、つい帰りが遅くなりました」と言って、日が暮れてから大分刻(とき)がたってから帰って来た。そしてその弟子が、
 「棟梁。今日は烏丸(からすま)のあたりで何かあるのですかねえ。ずい分と人の往き来が多いようで、何だかざわざわしていましたが…」
と、ちょっと気になることを言った。
 「烏丸の方で?…」
 精右衛門ははっと思った。
 「そうか。それはおかしい…。お前は早く飯を食って休め。わしはちょっと様子を見て来る」と言って立ち上がったその時、外の方で
 「おおい火の手が上がったぞ…」という叫び声が聞こえた。
 「火の手が?これは一大事!」とばかり、精右衛門が表へ飛び出してみると、早くも野次馬が右往左往して混雑が始まっているではないか。
 今、精右衛門の前を走って行った者が、
 「火の手は三条烏丸の院の御所だそうな。これはおおごとだぞ…」と言っていた。
 「さては!清盛さまのお留守をねらって、誰かがひと騒動をたくらんだに違いない。これは一大事だ!」とばかり、精右衛門はおたきに綿入れを出させ、その上へ゛精右衛門″と襟に名を染めぬいた半天をはおって、「六波羅まで行ってくる」と、言い置いてかけ出して行った。
 町中はもう野次馬でいっぱいであった。



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