
▲ササが伸びて荒れたからと、今春、五輪塔頭部を重ねた墓を移動した
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廿日市市 中山龍三さん(81)
山から出てきた厳島合戦時の五輪塔集め供養
「奉仕だけは続けてきた」
「たたりがあるけえ、触るなと先祖代々言われとった」と打ち明ける。それでも、自宅の裏にある山から出てきた五輪塔の頭部を集め、同じ山の改めて墓地として整備した場所に並べて弔っている。「厳島合戦で亡くなった武士の墓だった五輪塔」だと言う。
阿品地区が、今の面積になって歴史は浅い。昔はJR阿品駅周辺までは入り江で、砂浜があった。民家も、今より少なかった。土地に伝わる話では、この砂浜に厳島合戦(一五五五年)で戦死した武士が潮流に乗って流れ着いたそうだ。過去、現地を調べに来た広島大学教授によると、当時墓を作ったのは、財力のあった馬関(下関)商人だろうという。
二十歳ころから四年間、陸軍に籍を置いていた。時代は変わっても、戦争や戦死者・犠牲者は無くならない。「荒れたままじゃかわいそう。誰かが世話してやらないと」と、今春、ササだらけになって見えなくなっていた場所から移し、新たに整備し直した。段々になった山を見上げ、「掘れば、まだまだ出てくるだろう」。新たに出てきた五輪塔の頭部も並べ、手を合わせる。
なぜ、たたりも恐れず整備したのか聞いてみた。長く民生委員などを務めたそうで、「奉仕活動だけは続けてきた」。かかわり始めて四十年。「先祖を大切にしたら、(たたりとは逆に)長生きするかも知れん」と、優しそうに目尻を下げる。
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