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宮島街道にしひがし

宮島お砂焼と宮島ろくろ 2人一緒に3代目を襲名

2014年02月07日

山根興哉さんと小林松斎さんが一緒に3代目襲名を披露した
 【廿日市市大野・宮島】廿日市市で伝統工芸を受け継ぐ2人が、50歳を機に3代目を襲名した。宮島お砂焼の山根宏造さん(宮島口、50)は「興哉」を、宮島ろくろ細工の小林利幸さん(宮島町、51)は「松斎」として、1日に嚴島神社祓殿での合同襲名式に臨んだ。由緒ある後継者、さらには作家として伝統工芸の発展を誓った。

 江戸時代に始まったお砂焼は、一度、途絶えたが、初代興哉(本名=重助、1895ー1979)が京都で修行を終え、大正元年、旧大野町で再興した。興哉という名は「寺の住職が再興を願って名付けた」(山根さん)と聞いたそうだ。

 幼いころ「お砂焼への意識はなかった」が、高校に入り自然と傾き始めた。3代目の山根さんは大阪芸術大学を卒業後、京都府の職業訓練校などでも陶芸を学び帰郷後、1989(平成元)年に2代目(本名=五雄、85)に師事。日本伝統工芸展で数多く入選している。

 お砂焼としての仕事をする一方、異なる粘土で独自の作品作りもしてきた。昨年11月には、窯元向かいにギャラリーを開店。お砂焼きだけではなく熊野筆なども置き、伝統工芸の魅力を伝えている。

 宮島ろくろは、江戸の嘉永年間(1848ー1853年)に島に技術が伝わったとされている。松斎という名は、明治時代、家の裏側に大きなマツがあり、店舗名も「一松堂」としたそうだ。
 2代目で父親の健一郎さん(1924ー2013)の後ろ姿を見て「いつかは一緒にしたいと思っていた」(利幸さん)。広島工業大学卒業後、ろくろの道に進まず、水力発電関係のメーカーに勤め設計を担当してきた。だが、茶道を習い始めたのをきっかけに上田宗箇流の初釜を手伝った際、先代の家元から「せっかくお父さんがろくろをしているのにもったいない」と言われ、父親が腕にけがし「元気なうちに」と思い、会社を退職。父親に師事した。感性を磨き、宮島ろくろを広めるため、展覧会に積極的に出展。同工芸展でも入選を重ねている。

 襲名式は2人とも日本工芸会に所属する作家でつくる「燈会」(ともえかい)に入っている縁で、共に50歳を迎えたのを機に催した。茶道上田宗箇流家元の上田宗冏氏が立会人を務め、父親の使い続けていた道具を受け取った。

 山根さんは「伝統を継承しながら、作品の芸術性を高めて新しいお砂焼を作り、レベルを高めて裾野を広げていきたい」と抱負を話す。

 小林さんは「父に追いつきたい。自分の感性を磨きデザインを高め、一目見れば私の作品と思ってもらえる域になれば」と表情を引き締める。


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平成30年7月20日 第1509号

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