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阪神淡路大震災から20年 ギターの山田さん最後のメモリアルコンサート 17日 鈴が峰公民館で

2015年01月16日
 節目を機に新たな人生を生きる
 
 【西区】1995(平成7)年1月17日に発生した阪神淡路大震災から二十年目を迎える。震災後の神戸から地元広島市西区に移り住んだギタリスト・山田一彦さんが開催してきたメモリアルコンサートも17日(土)で最後を迎える。節目を機にラストコンサートと位置付け「普通のギタリストに戻ります」と話している。
 震災当時は、40歳代だった。被災後二カ月、現地で暮らした。「皆、ギターレッスンどころじゃありませんでした。だから自分が生き残るためにはと広島移住を決めました」。小学生のころ広島市に数年住んでいたが大きな記憶ではなかった。
 井口台を拠点に、ギター教室を開き生徒を指導した。被災したギタリストとしてメモリアルコンサートを開催した。「被災者という点を注目されたことが広島での当初の生活基盤作りに役立ったことは事実です。でもずっと付いて回ることが時を経るにつれ、しんどくなってきました」。
 広島に疎開した被災者の情報交換や親交の場「広島のじぎくの会」の副代表、代表を十年間務めた。同会は、十年目を機に解散した。「会員が高齢化していく。亡くなる人もある。年月の経過と共に、広島の被災者同士が助け合っていかに立ち直るか以外の問題が中心になっていった面もありました」と経験を話す。
 「これから復興のための力が必要とされる現地を見捨て広島に移った」という自責の念が重く付きまとったと言う。「実際に、そうした皮肉を言われることもありました」。広島に避難後も神戸にはたびたび戻っている。
 移住直後は広島と関西の県民性、雰囲気に戸惑った。「関西はハッキリものを言うイメージ。広島で初めのころにハッキリ言い過ぎだとたしなめられたこともあります。その私も今は広島県人ですね。自分の物事の考え方や発言をそう感じます」。二十年の歳月が変えた。
 重ねてきた時間が、時に震災の記憶を忘れさせてくれることもある。「でも完全に無くすことはできない。レッスンの時のいすの揺れや1月2月の冷え込む日が引き金になったり。何となく不安に感じることがある」。
 今後も指導や演奏を続ける。「震災被災者の?肩書き?を外して楽になり、自分の人生を取り戻したい。ギタリストとしてはこれからがまた力の増す時期です。もっと練習して精進したい。震災以前の暮らしに戻ること=私自身の自立だと思っています」。長年抱えてきた重荷を下ろすと決めた。
 コンサートは、鈴が峰公民館で午後1時半~。入場は、無料。ソプラノ歌手・日越喜美香さんも出演する。「我が母の教え給いし歌」(ドヴォルザーク)、「ブラジル風バッハ」(ヴィラ=ロボス)、「初恋」(越谷達之助)などを演奏する。
 問合は、同公民館TEL(082)278・7599。

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